冒頭に書いておきます。
私がこの先、多頭飼育することは2度とありませんが、記事の最後で万が一の時にはと思う猫が出てきます。
ただ、なるべくならやりたくない。
私と夫では猫に対する考え方が、長いあいだ交わらなかった。
今はプルだけになってしまったから、そんなことも自然消滅気味ではあるが、根っこの根っこはきっとまだズレている。
夫にとって、猫はあくまでもペット。
私にとっては家族と同じ。
その違いで揉めたことが何度もあった。
特に多頭飼育時代に多かった。
ここで私が書く多頭飼育というのは3匹とかのレベルではない。
後先を考えない、感情だけでたくさん保護し続けてしまった状態のこと。
初めて猫をちゃんと拾ったのは2001年あたり。
いよいよ大変になり始めたのは、2005年。
話に出てくる猫の年齢は、保護したから正確にはわからないが、動物病院の先生の推定。
2005年~2015年2月28日
真っ直ぐに猫に向き合い続ける私に対して、色々思うところが多かったのではないかと思う。
「人間の生活を犠牲にしてまではやるな。」ということを分かってほしかったのかもしれない。
ペットにかけるお金のこと、愛情のこと、時間のことなど。
私は夫どころか、病院の先生すら引くほどの熱意を持っていた。
可能性が僅かでもあれば掴みにいきたいというタイプ。
お金が掛かるのなら作ればいいのだと、売れるブランド品は売っ払った。
冬休みには年賀状の仕分けのアルバイトをした。
本業の後にコンビニでも働いてた時期もあった。
アンケートに答えて少しおこづかいをもらったり、無料のサンプルをもらったりして生活に掛かるお金を節約して猫に回した。
飲み会も行かなかった。
それでも足りないのなら、動物病院にツケをお願いした。
もちろん全額返済しました。
この時期は慢性腎不全・家の猫中に風邪が蔓延・免疫系の病気・扁平上皮癌・胆管肝炎・尿道結石・膀胱炎・歯の問題など・・・とにかく猫が次から次へとどこかが悪くなるという流れだった。
車を持つ余裕の無かった2012年までは、一番安いママチャリにキャリーを固定して駅2つ分を往復した。
連れて行かなければならない猫が複数いたら、何往復もした。
足が痛かったが、それよりも連れていきたい気持ちと少しでも安上りな方法を選択するぞという気持ちで乗り切れていた。
タクシー代はなるべく節約した
夫のように、あくまでもペットという線引きをして関わっていたらそこまで金銭的には追い込まれなかったのだろう。
私がここまで金銭的に追い込まれたのは、全力で関わったことがおそらく原因の大半。
サプリ・漢方・水素水・納得がいかなければセカンドオピニオン・試したいことが次から次に・・・とにかく何でもかんでも。
寝る間を惜しんで、色んな人のブログを読み漁った。
人間関係もおろそかにしたり、睡眠時間を削って調べものをしたり、まわりが見えなくなった。
みんなのブログを読んでいるうちに、参考になるのと同時に嫉妬したりもした。
みんなの闘病生活や多頭飼育はもっとキラキラしていて、余裕すら感じた。
場違いな気がして、ネット上でもだんだん距離を置くようになった。
実生活では、互いの実家も周囲もあきれていた。
この時期の母親の小言はきつかった。
もともと言い返さない、省エネなタイプの私はだんだん気持ちが引きこもった。
実家や周囲にもシャッターをおろした。
いつも正しかったのはおそらく夫や周囲のほう。
猫が病気になった時、あまり時間がないってわかった時、正しいことがききたいわけじゃなかったりもする。
その意見が正しくても、もう引き下がれなかった。
2015年3月1日~2017年10月22日
この時期は老猫2匹とプルの合計3匹。
この頃は老猫2匹がそれなりにお金が掛かっていたとはいえ、これまでの暮らしに比べたら金銭的にはずいぶん楽になった。
猫が歳を重ねればお世話も増える。
いっちゃんは22歳まで生きた。
最後の半年は後ろ足が動かなかったから、前足の力だけで這っていた。
そうなるとトイレの失敗も増えるし、やがて使えなくなる。
途中からはゲージ生活をしていた。
ペットシーツというものは結構高額。
でも、なるべく快適なシーツの方がいい。
老猫いっちゃんに必要だったもの。
- 甲状腺の薬
- 心臓の薬
- 時々自宅でする輸液セット
- ペットシーツ
- ちゅーるなどのペーストのフード
- ドライフード
老猫チャチャの必要だったもの。
これらが成立していたのはもちろん、途中からは仕事の休み方なんかが比較的自由な今の職場への転職があってこそだった。
色々出来るのはお金があってこそであり、そのお金は仕事があってこそだ。
多頭飼育中期の派遣社員時代は、猫の危篤と火葬で休んだ翌日に出勤したら味方がいなくなっていた。
「今こそ休む時だよ。」と前日言ってくれた職場の人も、味方では無くなっていた。
しばらく出勤したけど、私の気持ちがダメになってやめてしまった。
今ならわかる言葉の意味はいっぱいある。
今ならわかる他人の気持ちもある。
だけど、理屈じゃないこともたくさんある。
わかっていたって頭と体が違う動きをしてしまうことばかり。
それでもMAX14匹に膨れ上がったにゃんこの手を最後まで離さずにいれたことは私の自分だけの功績。
一度掴んだら離さない。
その覚悟があれば多頭飼育は乗り切れるが、かなりきつい。
精神・時間・お金・・・。
「よく飼育崩壊しなかったよね。」
ある人にこう言われたことがある。人から見たらそういう状態だったのかな。
勢いで3匹目の子猫を拾ってしまったと言ったシニア世代のAさん(仮名)
家族は全員反対らしいので、単独行動なのだそう。
この方は一匹保護してから2匹目、さらに三匹目の間隔が短い上に、屋根がない猫はみんな保護しそうな雰囲気を放っている。
年始にAさんから、猫を拾った話を切り出されてこの記事を書いてみた。
正直とても恥ずかしい内容ではあるけど、私以外の人はこういう事にならないように。
猫が20年生きたとしたら、自分はその時に何歳なのか。
自分に何かあった時に、猫を頼める人はいるのか。
重い砂やフードを買い続ける体力はあるのか。
歳をとれば猫も人間も色々ガタが来る。病院も行く。
今の収入はこの先どうなっていくのか、収入が減っても仕事を失ったとしても、そこに猫を養う力はあるのか。
Aさんはもう関わってしまったわけだから、その子の手は最後まで離さないで欲しい。
・・・もしもAさんがどうしてもとなり、本当に他に誰も居ないとなった時、私はやむなくではあるけど手を差し伸べるつもりは多少ある。
出来ればやりたくはないけど、猫に罪はない。
まずは自分で譲渡先とかを探してはもらいたい。
Aさんの様子を静観しつつ、話は今後も注意深く聞いておこうと思う。
話を聞くだけであり、自分の体験やアドバイスなんていう余計な燃料は投下しない。
Aさん、家族に味方がいないから保護団体の人に相談したり、猫飼ってる人に相談したり、ネットサーフィンしてるって言っていた。
この記事が届く確率はとても低い。
それでも書いた。
ここに書いた内容を直接伝えることは一生無い。
余計なお世話。
当時、私が母親や夫の意見が痛かった。
「わかってるから、それ以上はもうやめて・・・。」って思いながら聞いていた。
2020/1/20 ブログ管理人:はな