プル、時々カマ江と飼い主のアルバム。

画像加工したりのんびりやってます。猫のプルミエール♀と保護カマキリのカマ江と大腸がん寛解を目指すおとうさんと飼い主のアルバム。

強烈な中村さん(仮名)の記憶。

いつだかのサッカーワールドカップの年、私は派遣で働いていた。

女性ばかりの職場。

 

この時面倒を見ていた慢性腎不全末期の黒猫がいた。

入退院の繰り返しをしつつ、毎日補液をしていた。

本格的なわたしの猫の闘病第一号だったこともあり、強制給餌も積極的にしていた時期。

(この後、どの猫に対しても強制給餌をすることをやめるきっかけにもなった。)

 

とうとう、あと1週間程度だと覚悟をしておいたほうがいいと告げられた時。

それでもギリギリまで仕事をしていた。

 

ある朝、今日明日ではないかな?と私の感がはたらいた。

ひとまず出社して、明日はお休みをしたいとお局の中村さんに伝えた。

 

中村さんは、TRFのボーカルに似ていてスタイルが良かった。

ネコも2匹飼っていた。

ただし、結構はっきりしていて酒豪で怖かった。

 

案の定、中村さんはイラつきを見せた。

 

中村さんのイライラの原因は、私が仕事を休むせいで穴が開き、ワールドカップを観に行けないから。

 

中村さんの同棲相手はチケットの転売で日銭を稼いでいた。

売れ残ったチケットで、ベッカムトッティだと騒いでいた。

それが行けなくなることに不機嫌になった。

 

私にとってはベッカムよりうちの猫の最後を看ることの方が大事で、中村さんにとっては、他人の猫の最後よりワールドカップだった。

 

普段は引く私が引かずに有休をとった。

中村さんがダメならと、その上に話を通した。

 

翌朝、黒猫は補液をしている途中におもらしをしつつ逝ってしまった。

 

初めて看取った猫だったこともあり、死後硬直が始まるまで生きているのか死んでいるのかわからなかったり、目を閉じるのを忘れてしまったりした。

 

仕事を強行して休んでしまった為、早めに火葬をして会社に復帰した。

 

もちろん中村さんはカンカン(# ゚Д゚)だった。

 

「あの日どれだけ大変だったかわかってる?」

 

出社して一言目がロッカールームで浴びせられた言葉。

 

他にも何か言っていたのだけれど、嫌みも小言も正直あんまり耳に入ってこなかった。

私の頭の中はそれどころではなかった。

 

お局の中村さんを敵に回してしまった為、私は何となく職場でやりづらくもなってしまった。

 

私は動物病院にツケをしてしまっていたため、しばらく休日出勤もしてお金を淡々と稼いだ後にそこは辞めた。

 

私は他にも猫を飼っていたため、そのたびに中村さんを乗り越えるのは無理だと思った。

 

その後、少し他の仕事をして今の職場に流れ着いた。

 

今の会社は、やることさえやっていれば猫の事で堂々と休み、堂々と早退することが出来る。

事情を隠さなくてもいい。

何なら課長も部長もすごく理解してくれて、「猫落ち着いた?」「猫元気?」「猫も家族だもんな。」みたいな感じ。

 

普段、「えー、ずいぶん鬼畜じゃないか。」と思うことがあっても、肝心な時に休みやすくて帰りやすいという環境がとてもありがたい。

 

当時は自分も若かったせいか、ちょっと考えが甘かったかなと思う。

 

同じ猫を飼っている人だから、もしかしたらわかってくれるんじゃないかという、自分の甘さもあった。

皆が同じ温度で動物を飼っているわけではない。

 

 

ただ、あの日休んで本当によかったなぁと今でも思っているし、その流れから今の職場にたどり着けたことも良かったなぁと思っている。

 

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おまめ発見。

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